角聖

2010年12月4日 (土)の日記より

強豪力士の紹介が続いていますが、今回は現役時代の強さだけでなく、引退後も協会のために尽力し
その功績を称えられて ”角聖” とまで呼ばれた、第19代横綱 「常陸山谷右エ門」 を紹介します。 

1874年 水戸藩の上級藩士の家に生まれる
1890年 入門
1897年 春ごろから快進撃を続け、新入幕でいきなりの優勝相当成績
1901年 関脇で2度目の優勝相当成績後大関へ
1903年 初の全勝で4度目の優勝相当成績を挙げ横綱免許授与が決まる
その時の逸話として、自身と同じ強さで観客を沸かせた梅ヶ谷の健闘を称え、
「できれば梅ヶ谷関といっしょにお願いします。」
と返答したという、人としての器の大きさがよくわかる話が残っています。
そしてその後は、「梅常陸時代」と呼ばれる明治時代後期の相撲黄金時代を築きました。

常陸山の相撲は、相手の声で受けて立ち十分に取らせてから反撃するという、まさしく「横綱相撲」
で、その取り口から、江戸時代の大横綱 ”谷風の再来” とまで言われたそうです。
しかし、このような相撲は余程の力量差がなければ不可能で、全盛期の強さがいかに驚異的であった
か推測されます。

1907年には門弟3人を連れて欧米を漫遊し、時のルーズベルト大統領と会見してホワイトハウスで土俵入りを披露。

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現役時代の体格は、身長五尺七寸四分(174cm)、体重39貫(146kg)
幕内通算150勝15敗、22分、2預  歴代横綱では最後の9割越え
横綱成績83勝10敗17分 2預97休
優勝額掲額制度の発足前に優勝相当成績6回、制度発足後優勝1回

大正3年引退、年寄出羽ノ海を継ぐ

引退後は後進の指導にあたり、その厳しさはつとに有名で稽古場では常に青竹のステッキを持って現れ、
後の横綱たちさえもこのステッキを持った師匠が来れば震え上がったといいます。
また、有望な力士には一門や陣営の区別なく稽古をつけ、横綱栃木山以下の名力士を多数育成、
出羽海一門の礎を築きます。

武士の家に生まれた為に力士は侍であるとの思想を持ち、現役時代から力士の品位を向上させる努力
を行い、引退後は相撲協会取締役として大相撲を国技と呼ばれる程までの地位に高め、〝角聖〟と
呼ばれます。そして、引退後の実績から現役時代の強さを超えた ”別格横綱” とされました。

1922年6月19日死去  享年48歳。
葬儀は史上初の協会葬として行われ、その葬列は上野駅から両国橋まで途切れる事なく続いたそうです。

すごいですね~
特に引退後の実績がすごいです(感動)
これも、小さい頃から武士として厳しく育てられてきたことが役に立ったんでしょうね。 
武士道の素晴らしさが ”明” として表れたひとつに例でしょう。


体重  72.5g
・体脂肪率  27.1% 
・内臓脂肪レベル  14
・骨格筋率  31.3%
・体年齢  55 
・基礎代謝  1627kcai
・BMI  26.0
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by massuru2013 | 2015-02-04 06:05 | Comments(0)