不世出の大横綱

2010年12月10日 (金)の日記より

今日の強豪力士紹介は、白鵬により空間を超えて呼ばれた、
不滅の大記録 ”69連勝” の記録を持つ双葉山です。

「双葉の前に双葉なく、双葉の後に双葉なし」 といわれた、まさしく不世出の大横綱!

双葉山 定次     第35代横綱。
大分県宇佐出身、身長179cm、体重128kg。

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少年時代は成績優秀だったそうですが、父の事業の失敗や、母や兄、姉の死もあり、進学せずに
家業の木炭商と海運業を手伝っています。しかし、その時に船の機械で右手の小指が潰され、
また少年時代の負傷が元で右目が半失明状態になってもいました。

入門から連勝開始までは目立った力士ではなく、ただ、膝関節が柔軟で足腰が非常に強く
攻め込まれても簡単には土俵を割らず土俵際での逆転勝ちが多かったようです。
そのため 「うっちゃりの双葉」 と言われていたくらいの力士でした。

1935年、蓄膿症の手術を機に体重が増え取り口が大きく変化、
特に相手より一瞬遅れて立つように見えながら、攻撃はほとんど相手に先行するという、
武道のやり方として有名な、「後の先をとる」 という技術を身につけ、
そこから右四つになって左上手を取り、常識を超えていたといわれる強烈な左上手投げを炸裂させ、
相手を軽々と放り投げるという 「右四つ左上手」 の形を完成させたのは有名。 
双葉山が得意の左上手を取ると観客は安心して帰っていったという伝説も残っています。

快進撃の始まりは1936年1月場所7日目からで
1936年5月場所を関脇で11戦全勝優勝し大関へ
1937年1月場所を11戦全勝、5月場所を13戦全勝で連続全勝優勝し横綱へ
1938年1月場所と5月場所を13戦全勝で5場所連続全勝優勝
谷風の63連勝を約150年ぶりに塗り替える

1939年1月場所4日目、連勝を69にまで積み重ねた双葉山は、出羽海部屋の新鋭・安芸ノ海と対戦。
場所前にアメーバ赤痢のため体重が激減して休場も考えたといわれますが、場所の1ヶ月前に
横綱玉錦が現役死したこともあり、責任感の強い双葉山は強行出場。

連勝がついにストップしたこの一番は、双葉山が3度目の右掬い投げを放った瞬間、安芸ノ海の
左外掛けが双葉山の右足を捕らえ、双葉山は崩れるように倒れてついに連勝がストップ、
この ”双葉山の連勝ストップ” には号外も出たといいます。

安芸ノ海の所属する出羽海一門にとって当時連勝中だった双葉山の打倒は悲願であり、
当時としては珍しい学士力士(早稲田大学卒業)笠置山を作戦参謀に、
 「打倒・双葉山」 の研究と稽古をしていました。
双葉山は幼い頃に友人の吹き矢が右目に当たり、ほとんど右目が見えなかったといわれ、
その事実は、親と親方夫婦以外には知られていませんでした。しかし、笠置山は研究の中で
双葉山の取り組みを分析、双葉山の右目の状態を認識してそこを狙う作戦を立てていたていた
といわれてます。
そして、安芸ノ海の殊勲の勝利は作戦通りとなり、出羽一門の悲願は達成されました。

しかし、双葉山は約3年ぶりに黒星を喫して69連勝で止められたにもかかわらず普段通り一礼をし、
まったく表情も変えずに引き揚げて行き、その日の夜、師と仰ぐ安岡正篤に 
「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」 と打電したのは有名な話です。
このように、強さだけでなく常に礼儀正しく、相撲内容も相手が立てば待ったをせずにいつでも立つ
といった武道者的な態度から、「角聖」 の異名で知られた明治の常陸山谷右エ門と並ぶ偉大な力士
として 「相撲の神様」  「昭和の角聖」 と呼ばれています。

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幕内通算成績は、31場所で276勝68敗1分33休、勝率8割2厘。
横綱昇進後は17場所・180勝24敗22休で勝率8割8分2厘
優勝12回
全勝8回
5場所連続の全勝優勝
そして前人未到の69連勝

1957年、相撲協会理事長に就任
1968年、劇症肝炎にて逝去、享年56

偉大な力士はすばらしい人格者でもあったのですね~(感動)




・体重  72.9g
・体脂肪率  26.4% 
・内臓脂肪レベル  14
・骨格筋率  31.9%
・体年齢  55 
・基礎代謝  1640kcai
・BMI  26.1



倒立腕立て 8回
腕立て伏せ 20回
腹筋 40回 
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by massuru2013 | 2015-02-10 07:25 | Comments(0)