巨人・大鵬・卵焼き

2010年12月12日 (日)の日記より

巨人・大鵬・卵焼き
私たちが子供だった時代に有名だった言葉です。
当時の時代を物語っていますよね~
私はアンチ巨人だったので、学校ではまったく話が合いませんでしたし、相撲取りも豊山が好きでしたので変わりもののように思われたのですが、卵焼きは大好物でした(笑)  
しかし、当時としてはぜいたく品でなかなか食べられませんでしたが、今の子供たちにそんなことを話してもぴんとこないでしょうね。

今日の強豪力士は何と32回も優勝している、その「大鵬」です。

第四十八代横綱 大鵬 幸喜  本名:納谷 幸喜
1940年5月29日生 身長187cm。血液型はB型
樺太敷香郡敷香町出身で北海道川上郡弟子屈町で育った。
ウクライナ人の父と日本人の母キヨとの間に生まれる。本名の納谷は母の姓。

北海道では母子家庭だったために家は貧しく、中学卒業後は弟子屈高校の定時制に通い、弟子屈営林署で働いていたが中途退学して入門。

大鵬という四股名は中国の古典「荘子」にある、翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔すると言われる伝説上の巨大な鳥に由来。この四股名は、師匠二所ノ関が最も有望な弟子に付けるべく温存していたものです。

1960年1月場所新入幕で12勝3敗の好成績を挙げ11月場所で初優勝、史上最年少の20歳6ヶ月で大関へと昇進。
1961年7月場所で2度目の優勝、9月場所で二場所連続優勝を果たし、場所後に柏戸と共に横綱へ昇進。このとき21歳3ヶ月で、それまでの最年少記録を大幅に更新します。

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色白の美男であったため、男性相撲ファンに人気のあった柏戸と比べて、大鵬は女性・子供からの絶大な支持を誇った。当時の子供の好きなものを並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉からも、大鵬の絶大な人気がわかります。大鵬の取組の時だけは銭湯の女湯ががら空きになったそうです。
ライバルの柏戸は、横綱になってこれからという時に骨折を繰り返し、実力が発揮できずに優勝回数は5回と少なかったものの、土俵を一気に突っ走る豪快な相撲が男性ファンから支持を得ました。子供の好きな「巨人、大鵬、卵焼き」に対して、大人ウケの「大洋、柏戸、水割」という(これは聞いたことがありませんでした)言葉もあったそうです。 後年の「江川・ピーマン・北の湖」と同じく一般にはあまり浸透しなかったのでしょう。

横綱昇進後は6連覇を2度成し遂げるなど大横綱へ向かって記録を作り続けます。
しかし、年とともに衰えは避けることができず数々のけがや病気に襲われますが、残されていた空前の大記録である ”双葉山の69連勝” 挑戦への最大のチャンスはそのころに訪れます。

1968年1月場所に休場、3月場所前に左膝を強打して靭帯を断裂し7月まで休場。9月場所は、初日の栃東に電車道で黒星を喫し、大鵬はもう終わりという声も上がったのですが、翌日から45連勝、1969年3月場所 2日目、戸田に押し出されて連勝はストップしました。
しかし、ビデオ画像や写真では戸田が明らかに土俵の外に足を踏み出していたため、誤審であるとして問題となり、翌場所から相撲の勝負判定にビデオ画像が導入されるきっかけとなりました。
しかし、大鵬自身は誤審の判定を下された件について不満を述べることはせず、むしろ誤審を招くような相撲をとった自分の方に責任があるとして、
「ああいう相撲をとった自分が悪いんです」
と語っています。

現役晩年に至っても、北の富士と玉の海の両横綱に対しては、最後まで壁として君臨し続け(北の富士・玉の海が横綱に昇進して以降の対戦成績は共に大鵬4勝2敗でリード)
引退2場所前の1971年1月場所に玉の海を本割りと優勝決定戦の2番連続で降し32回目の優勝、同年3月場所ですら12勝と健在ぶりを示しますが、翌5月場所栃富士に敗れ尻から落ちたことで引き時を感じ、5日目に当時上り坂の貴ノ花に寄り倒しで同じく尻から落ちる敗戦を喫すると引退を表明。

取り口は非常に手堅く、若い頃はもろ差しを得意にしていた。胸を合わせず、前かがみになって腰を引く「逆くの字」の体勢で相手の攻めを防ぎ、横へ回りながら自分有利の体勢に持ち込んでいき、投げで崩すか寄り切ると言うのが勝ちパターン。
どんな当たりをも受け止め、崩れない相撲を可能にしていた。投げ技の中では上手投げも強かったが、特に左差し手を十分に返してから放たれる掬い投げのうまさが際立っており、伝家の宝刀と称された。通常、廻しを取らずに下手から投げる掬い投げは上手投げより効果が薄いとされるが、大鵬の場合、懐の深さに加えて柔軟な長身で上体の大きなひねりが可能だったことが、掬い投げを非常に有効にさせていた。
突っ張りも強く、突っ張ってからの叩き込みも懐の深さゆえによく決まった。
押し相撲や右四つでも相撲が取れた。つまり、良く言えば究極のオールラウンダーであり、悪く言えば絶対的な型がなく、それを双葉山と比較されて批判されたこともあったが、相手次第で取り口を変える柔軟性を持っていたという点はすばらしく、師匠である二所ノ関は「型の無いのが大鵬の型」「名人に型なし」と言って批判に反駁した。
大鵬が勝ち続け、昭和の大横綱へと成長すると、「型の無い」大鵬の相撲は、状況に応じて相撲を変える「自然体」とも評価されるようになった。


通算成績:872勝182敗136休 勝率.827
幕内成績:746勝144敗136休 勝率.838
横綱成績:622勝103敗136休 勝率.858
幕内最高優勝:32回(歴代1位)
全勝:8回(歴代1位タイ)
連勝数:45

「型の無いのが大鵬の型」、さすがは師匠ですね、弟子の相撲をしっかりと守っています。 
この師匠は元大関「佐賀の花」で佐賀県出身の方です。

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しかし、世紀の誤審の後の言葉はやはり大横綱のものですね(感動) ていた。



・体重  73.0g
・体脂肪率  26.0% 
・内臓脂肪レベル  14
・骨格筋率  32.2%
・体年齢  55 
・基礎代謝  1644kcai
・BMI  26.2
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by massuru2013 | 2015-02-13 06:10 | Comments(0)