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悲運の横綱 1

2010年12月19日 (日)の日記より

悲運の横綱玉の海

前回までは、歴代の強豪力士を紹介してきました。
最後の大鵬以後も北の湖や千代の富士等の強豪力士が出ていますが、私の相撲に対する興味は、
ある強豪力士の死とともに急激に冷めてしまい、印象に残っていないためにここには登場しません。

その強豪力士とは……

玉の海 正洋   第51代横綱
愛知県宝飯郡蒲郡町出身   身長177cm、体重130kg

蒲郡市立蒲郡中学校時代は柔道で鳴らし、警察官になることを目指していたが玉乃海に勧誘され
二所ノ関部屋に入門。
1959年3月場所初土俵 四股名は玉乃嶋 9月三段目昇進
1960年11月幕下昇進
1963年9月場所新十両  柔道出身らしく、つかまえてからの投げは強いが一気の押しに弱いと     いう欠点のため、出世が遅かった。
1964年3月場所新入幕、翌場所玉乃島と改名
1965年1月新小結、7月に新関脇
1966年9月場所11勝4敗で場所後大関に昇進、しかし体格の割に相撲が大き過ぎるため
     暫く低迷、師匠片男波に命じられた鉄砲を始めとする鍛錬をひたすらこなし続ける。
1968年5月初優勝を飾り、前2場所の12勝もあって横綱は確実とみられたが、不得手の左四つ
     での相撲が印象を悪くし、しかも横綱陣は不調、相撲人気はどん底で、新横綱誕生という
     ムードにも欠けたため、横綱審議委員会が相撲協会からの答申に反対、呆気なく見送られます。
1970年1月場所13勝2敗で優勝同点。
     前場所は10勝ではあるものの「安定度は優勝の北の富士より上」との評価で横綱となった。
     ここで師匠である片男波の現役時代の四股名である玉の海の名を継いで玉の海正洋と改める。
     横綱昇進後、3場所目で9勝6敗と崩れた他は毎場所優勝を争い、12勝3敗さえ2場所のみ。
1970年9月場所から4場所連続14勝、このうち3度優勝
     大鵬とは連続して14勝1敗同士の決定戦を行い、大鵬最後の優勝(通算32回目)を
     許したものの、
     「なんのこれしき、弱いから負けるんだ」と再起を誓い、その日の夜から稽古開始。

深夜3時、貴ノ花(先代)が飲んで帰っていたところ、玉の海の車が停まっていたが運転手の姿しか
見えない。
不思議に思った貴ノ花が運転手に声を掛けると、運転手は「横綱がいるものですから」と答え、
驚いた貴ノ花が目を凝らすと、真っ暗な外苑通りを玉の海が走っていたそうです。
「その姿を見たとたん、私は自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、
しばらく玉の海さんの姿が頭から離れなかった。
私の相撲人生で大きな岐路になった出来事です」と語っています。

このようなたゆまぬ努力で、体重、上背に恵まれずとも体格の特性を生かした堂々たる四つ相撲を
会得。
反り腰の強さを生かした右四つの型の完成度は ”双葉山の再来”とさえ言われました。
投げ技も豪快で、吊りも得意、寄りながらサッと吊り上げる吊り出しの技術は相撲史上最高との評価もあります。
欠点は脇の甘さで、差し負けることも多かったが、
横綱昇進後は左四つでも廻しを取れば下位に負けることはほとんどなくなった。

そして、地元名古屋での7月場所には夢の全勝優勝を果たし、
多くの識者から「まもなく北玉時代から、玉の海独走時代になる」と期待されましたが……。
場所後に虫垂炎に罹患し、夏巡業を途中で休場するなど容態が芳しくなく
早急な手術が必要な状態だったが、横綱としての責任感の強さから注射で抑えて土俵を勤め
12勝を挙げた。
しかし、無理がたたりこれが結果として玉の海の生命を縮めることとなった。
場所後手術を終え、経過は順調と伝えられていたが
退院を明日に控えた1971年10月11日の朝、
起床して洗顔を終え、ベッドに戻ったところ、胸の苦しさを訴えその場に倒れた。
そのとき既にチアノーゼ反応が起きており顔は真っ青だったという。
急ぎ医師団の懸命な治療が行われ、一時は快方しかけたがその甲斐もなく
午前11時30分に死亡が確認された。    享年 27歳

逝去当時、玉の海の死に顔を見た人達は皆口を揃えて「無念の形相だった」と答えている。
ある付き人が納棺された肩幅の広い
(これが最大の武器で、相手に上手を与えなかった)玉の海を見て
「横綱、窮屈そうだな」と言うと皆、涙が止まらなかったそうである。

わずか10場所だけの横綱だったが、
1970年9月場所から1971年7月場所にかけて6場所連続幕内中日勝ち越しを記録、
この記録は現在でも破られていない。
横綱成績は130勝20敗、1場所平均13勝2敗という驚異的な数字で、
特に1970年9月場所以降に限っては96勝9敗、勝率は9割1分4厘に跳ね上がる。
横綱在位中の勝率8割6分7厘は昭和以降では双葉山に次ぐ第2位、戦後ではもちろん1位である。


        幕内成績:469勝221敗 勝率.680
        横綱成績:130勝20敗 勝率.867
        幕内最高優勝:6回(全勝1回、同点 2回)

当時中学生だった私は、この横綱に双葉山の69連勝を破ってもらいたくて必死で応援していました。しかし、残念ながらその夢はこの大横綱の逝去とともに消え果てました……。




・体重  72.5g
・体脂肪率  27.2% 
・内臓脂肪レベル  14
・骨格筋率  31.2%
・体年齢  56 
・基礎代謝  1626kcai
・BMI  26.0



倒立腕立て 7回
腕立て伏せ 20回 広い手幅 18回
腹筋 30回  他2種目
背筋 1種目
懸垂3回 逆手で狭く 3回
ウォーキング 30分
by massuru2013 | 2015-02-14 07:57