2017年 03月 08日 ( 1 )

多々良ヶ浜の戦い

天山山頂に墓のある阿蘇惟直
足利尊氏の軍に敗れて、無念の最期を遂げますが
その「多々良ヶ浜の戦い」とはどういったものだったのでしょう

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多々良浜の戦い(たたらはまのたたかい)
南北朝時代の1336年(建武3年)に行われた合戦である。
後醍醐天皇の建武の新政から離反した足利尊氏は、1336年、楠木正成や北畠顕家らと連絡した宮方勢に京都とその近辺で敗れ海路西走し、途中播磨国の赤松則村(円心)らに助けられ、再興を賭けて九州に下った。
尊氏は、足利方に味方した肥前国守護の少弐頼尚らに迎えられる。一方、宮方に味方した肥後国の菊池武敏をはじめ、筑前国の秋月種道、肥後国の阿蘇惟直、筑後国の蒲池武久、星野家能など、九州の諸豪族の大半は宮方に味方し、その軍勢は2万騎以上まで膨れ上がる。勢いを増した宮方の軍勢は博多を攻め、少弐氏の本拠大宰府を襲撃して陥落させ、少弐貞経を自害させた。
足利勢は、筑前国宗像(現在の福岡県宗像市周辺)を本拠とする宗像氏範らの支援を受けて宗像大社に戦勝を祈願し、筑前国の多々良浜(福岡市東区)に布陣した菊池氏率いる宮方と戦うが、足利軍は約2千騎に過ぎなかった。兵力の差は歴然で、少弐貞経が足利軍のために調達した装備は菊池軍の大宰府攻撃の際に焼失していたため、当初は宮方の菊池軍が優勢であったが、菊池軍に大量の裏切りが出たため戦況は逆転し、菊池軍は総崩れで敗走し、阿蘇惟直は戦死した。
当時の戦場の多くが福岡流通センターの敷地となっており、その一角の県道福岡直方線流通センター西口交差点(西鉄バス浜田バス停・JR九州バス直方線筑前浜田バス停付近)に記念碑が建てられている。そこから南東に進むと戦死者を祀った兜塚の跡があり「兜塚由来記」の碑が建てられている。

関が原と同じで、やはり裏切りで決着したんですね~  (-.-)






・体重  70.4kg
・体脂肪率 28.0%
・内臓脂肪レベル 13
・骨格筋率 329.7%
・体年齢 56
・基礎代謝 1581kcal
・BMI 25.2
・万歩計 14000歩

エアロバイク 60分
ベンチプレス(胸の筋肉)30kg×15回 45kg×15回 55kg×10回 
            65kg×5回 72.5kg×11回 70kg×12回       
            70kg×10回 
ワイドグリップベンチプレス(胸の筋肉) 57.5kg×15回 60kg×12回 
ナロ―グリップベンチプレス(胸の筋肉) 50kg×18回 55kg×14回
フライ(胸の筋肉)10kg×2個×10回 10回 
背筋 1種目×2






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by massuru2013 | 2017-03-08 06:29 | 古墳・遺跡 | Comments(0)